札幌高等裁判所 昭和27年(う)483号 判決 1953年1月27日
控訴人 被告人 国本次郎こと李長録 弁護人 岩沢誠
検察官 高木一
検察官 金井友正
主文
原判決を破棄する。
本件を札幌地方裁判所に差し戻す。
理由
検察官の控訴趣意は検察官高木一提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
検察官の控訴趣意(事実誤認)について、
本件記録及び原裁判所で取調べた証拠を綜合すると、札幌郡豊平村中の島北海道水産孵化場において、同場長新荘富二保管にかゝるゴム深沓五十七足及び八号綿糸五把が昭和二十四年一月二十三日数名の共謀により窃取されたものであることは認められるのであるが、被告人が氏名不詳の者数名と共謀の上窃取したとの点についてはその証明が不十分であつて、被告人の窃盗の事実は認め難いのである。従つて原裁判所が犯罪の証明がないものとして刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の判決を言渡したのは相当であつて原判決には事実の誤認はない。論旨は採用できない。
同第二点(訴訟手続に法令の違反)について、
本件記録によると、本件は窃盗罪として起訴せられ、原裁判所で審理中昭和二十七年六月六日の第六回公判期日において、検察官は賍物牙保の訴因及び罰条の追加を予備的に請求をなし、昭和二十七年六月二十一日の第七回公判期日において原裁判所は右予備的請求を却下していることは所論のとおりである。
本件起訴状によるとその公訴事実は、「被告人は氏名不詳の者数名と共謀の上昭和二十四年一月二十三日札幌郡豊平町中の島北海道水産孵化場において同場長新荘富二保管のゴム深沓五十七足及び綿糸五把を窃取したものである」旨及び罪名として窃盗刑法第二百三十五条と記載あり原審第六回公判調書によると予備的訴因及び罰条の追加の内容は「被告人は昭和二十四年一月二十三日午後二時頃札幌市南二条西二丁目狸小路上において、住所氏名不詳の朝鮮人某男からゴム深靴五十三足の売却斡旋方の依頼を受け、そのゴム靴が賍物であるの情を知り乍らその頃札幌市豊平三条一丁目道路及びその附近の荒井万根方において朝鮮人金井守京に対し前記ゴム靴を買つてくれと申込みこれが売却方の周旋をなし以て賍物の牙保をしたものである。」として、罰条は刑法第二百五十六条第二項となつているのである。
刑事訴訟法第三百十二条第一項に所謂公訴事実の同一性とは枝葉の点まで同一であることを要せず公訴の基本的事実関係即ち重要な事実関係が同一であれば公訴事実の同一性を害しないものであると解するところ本件の起訴状記載の窃盗の訴因と予備的追加請求の賍物牙保の訴因に共通の点は、犯罪の時が昭和二十四年一月二十三日であること、犯罪の物体がゴム深靴五十数足であること、犯罪の場所がそれ程遠くないこと、右ゴム靴が不法に領得されたことに被告人の関与した行為が中心問題とされているのであつて、窃盗と賍物牙保との間には事実関係に多小の変動がないではないが、いずれも他人の所有に係る財物に関する犯罪として相互に密接の関係があるので右訴因の予備的追加は公訴事実の同一性を害しないものと解する。従つて原裁判所が賍物牙保の訴因及び罰条の予備的追加請求を却下したのは、訴訟手続に法令の違反があるものといわなくてはならない。その違反は判決に影響を及ぼすことが明かであるから原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。弁護人は当裁判所第四部が昭和二十五年(う)第六十八号賍物故買同牙保住居侵入窃盗被告事件につき昭和二十五年六月六日言渡した判例を引用して基本的事実関係が同一でないと主張するのであるが右判例は本件との事実関係に相違があり本件の場合に適切な判例でないから、その主張は採用できない。
よつて刑事訴訟法第三百九十七条、第三百七十九条により原判決を破棄し、同法第四百条本文により本件を原裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 成智寿朗 判事 臼居直道 判事 東徹)
検事高木一の控訴趣意
札幌地方裁判所は本件公訴事実である「被告人は氏名不詳の者数名と共に、昭和二十四年一月二十三日、札幌市豊平町中の島北海道水産孵化場において同場長保管にかかるゴム深靴五十七足及び八号綿糸五把を窃取したものである。」という事実は証明不充分として無罪の言渡をなしたが右判決は、第一に事実に誤認があつてその誤認が判決に影響を及ぼすべきことが明らかであり、第二に訴訟手続に法令の違反があつてその誤が判決に影響を及ぼすことが明らかであるので到底破棄を免れない。即ち
第一、事実の誤認 原審裁判所は、その判決理由の中で、1、靴、糸等と同時に橇が盗まれ、その橇の跡が孵化場の倉庫から弘栄堂薬局前(被告人の家から約五十八米の距離にある)迄続いていた事実、2、ゴム靴は当時統制品であつて容易に手に入らぬ品であつた事実、3、被告人がゴム深靴五十七足を金井守京に売るに際し、氏名不詳の朝鮮人を出して弁解し、更にゴム深靴一足七百円という値をつけながら、すぐ五百円にまけ、糸は無償で交付した事実を認め、被告人に本件窃盗の疑があるとし、ついで、4、盗難被害顛末書によれば、数名で幾倍もの品物が盗まれた事実、5、盗品の一部が杉本、岩本等の家からも発見された事実、6、氏名不詳者が被告人に売買の斡旋を頼んだ事実、7、盗難にあつた時間、場所が金井守京のゴム靴等を買つた時間、場所とかなり距りがあること、8、ゴム靴は統制品ではあつたが相当出まはつていたこと、9、盗まれた品物の種類、数量が遥かに多いこと、10、ゴム靴、糸は個性のないもので他のそれと区別しにくいこと、を認め、結局、被告人がゴム深靴五十七足及び八号綿糸五把を氏名不詳者から頼まれて金井守京に売る世話をしたことは認められるが、本件ゴム深靴及び糸を窃取したことは認めえないとしている。即ち原審判決は、被告人が本件の窃盗犯人であるとの疑いはあるが、金井守京が入手したゴム深靴五十七足及び八号綿糸一玉は本件被害品の一部であるかどうか判らず、かりにそうであるとしても、被告人が窃取したものと認める証拠がないとしている。
そこでまず
一、金井守京が入手した品物が本件被害品の一部かどうかについて考えてみる。
1、およそ原審もみとめているように、当時ゴム靴は統制品であつて入手困難ではあつたが、相当出廻つていたことも事実である。しかし所謂闇取引による以外は、法規にもとずく割当証明書によらねば入手できず、殊に多量の割当は特殊事情を必要としていたものであつて、したがつて多量に入手できるということは、極めて限られた範囲においてのみ、みられた現象であつた。当時はこのような事情にあつたから(記録第五十二裏五十三丁)時間的、場所的に接近して、盗難品と同一種類の統制品が多量に発見されたということは、一応その同一性を認める足がかりになる。
2、次にゴム深靴と一しよに窃取された八号綿糸が発見されたという事実(記録第三十四丁)はその同一性をきはめて強く推定させる。ゴム靴や糸はそれ自体では個性のないものであろうが、ゴム靴と糸との組合せは原判決のいう個性をもつてくる。ましてゴム靴が深靴、糸が八号綿糸という種類である限りにおいて尚更である。
3、盗まれた品物の種類、数量の多寡は(記録第二十九丁)原判決の認定のように起訴の範囲を物的証拠の出た範囲に限つたまでで、この事から同一性を疑うことは意味がない。
4、本件記録添付の新荘富二作成の仮下請書によると、被害者においては、金井守京の買受けた品を、盗難にあつたものと認識してその仮下を受けている。(記録第三十一丁)
5、検証の結果によれば、賍物の発見された新井万根の家は、被告人の家から約百五十米の距離にあり、橇の跡の終つた点からも凡そ同じ距離である。(記録九十五丁表)
右のような事実を考え合せると、金井守京が買受けたというゴム深靴、八号綿糸は、北海道水産孵化場から盗まれたものであることについて何ら疑問を残さない。
二、次に孵化場から盗まれた品物、即ち、新井万根の家から発見された賍品は、被告人が盗つたものかどうかを判断してみる。
原審判決は盗難被害顛末書によれば、起訴状に記載されている幾倍もの品物が盗まれ、しかもそれは数名によつて為されたにも拘らず、起訴状には一部しか記載されていないから他に真犯人がいるのではなかろうかとの疑いをもつという事を前提として、盗品の一部が岩本、杉本等の家からも出たこと、本件は夜間盗まれ、被告人がその後九時間乃至十四時間を経て昼間売るのを世話したという事実で、時間的、場所的に距りがあること等から、又被告人が氏名不詳者から売るのを頼まれたと言つているが、同様に金井守京もその事を主張するので、この弁解を認めざるを得ないこと、若し、この弁解を認めないとすれば、賍品をもつていた金井こそ窃盗犯人として考えられて然るべきであるとし、結局被告人が本件犯行を犯したと認定することは出来ないという。しかし、起訴状に被害の一部しか記載しなかつたということは、既にのべたように、物的証拠の出た範囲において起訴したものであるし、賍品の一部が杉本等の家から出たことや金井が窃盗犯人かも知れないということは、起訴状にも、被告人は氏名不詳の者数名と共謀の上と記載してあつて、何等公訴事実を認定する妨げにはならないし、盗難にあつた場所、時間と金井が賍品を買いうけた場所、時間と距りがあつたとしても、この事から直ちに被告人と金井との間に第三者が介入しているという事にはならないから、問題は被告人が弁解するように氏名不詳者から賍品の売買を頼まれたということを証明する証拠があるかどうか、換言すれば原判決が採用した金井守京の供述が措信できるかどうかということである。この氏名不詳者については、金井の娘新井順子も種々述べているが(記録第五十九、七十、七十一丁)その供述等より考えれば金井の供述は直ちに信用出来ないということが判る。即ち
1、氏名不詳者の風体について、被告人、金井、新井の各供述が一致しない。金井守京はその検察官に対する第二回供述調書において、その男(氏名不詳者)は、黒いオーバーを着て、リツクサツクは背負つておらず、手には風呂敷包等を持つていませんでしたと述べているが(記録三十三丁裏)、新井順子の検察官に対する第一回供述調書によれば、その男は、つめえりの黒い服を着て、スキー帽をかぶり、からくさ模様の風呂敷包を背負つていたものであり(七十一丁表)、更に被告人の検察官に対する第一回供述調書によると、その半島人(氏名不詳者)は、リツクサツクを背負つており、その中に見本の靴が入つていることになつており(七十四丁裏)、同人の原審公廷における供述によると、風呂敷包を持つていてそこから見本を出して、被告人に見せている(六十二丁表)。
2、次に証人金井守京の原審公廷(第二回公判期日)における供述によると、同人は、被告人及び氏名不詳の男の二人に午後二時頃路上であい、そのまま二人を新井万根(新井順子の夫)宅につれて行つたが(二十丁)、その時順子は家にいたが、すぐ出て行き(二十二丁裏)、被告人も、新井方で金井が氏名不詳の男と話しているうちに帰つていつたと述べている(二十三丁裏)、更に被告人も原審公廷(第三回公判期日)において、順子の家へ行つた旨供述している(六十四丁)、しかるに証人新井順子の原審第三回公判期日における供述及び同人の前記供述調書によると順子は、当日午前十時頃外出して午後二時か三時頃帰宅し、午後六時頃に金井の所に泊りに行く迄家に居たが、その日は被告人は同人宅には来ず(五十九丁)、午後四時頃金井が一人の半島人をつれてきたということになつている(七十一丁表)。当時順子が住んでいた家は、証人矢島敬三の原審公廷における供述によると、七畳一間きりで(百二十九丁裏)、被告人と順子が面識のない間柄であればいざしらず、前記順子の供述調書によると、被告人をチビと呼ぶくらいの親密さであるから(七十二丁)、被告人、金井守京、新井順子の孰れかが嘘を言つている事になる。又この点に関して被告人は、その検察官に対する第一回供述調書において、私はその場(三人が出会つた場所)から自分の家に帰りました。その半島人(氏名不詳の男)は、須田(金井守京)と共に須田の家に行つたようでしたと述べていて(七十四丁裏)これ又原審公廷におけるのと異なつた供述である。
3、証人金井守京の前記供述によると、氏名不詳の男は、午後三時頃品物をとりに帰り(二十二丁表)、午後五時頃ゴム靴三十足と、その後に二十七足と糸を二百匁程度持つてきたことになつているが(二十一丁表)、新井順子の前記供述調書によると、ゴム靴は一回持つてきたきりで二回に運んでいない(七十一丁裏)。
4、新井順子は、その日は午後二、三時頃から午後六時頃まで家におり、外出しないことになつているが(七十二丁裏)、果してそうだろうか、証人矢島敬三の供述によると、新井万根方は一部屋だけで、証人の部屋と隣り合せの唐紙で仕切られてある部屋なので、普通の話声さえ筒抜けの状態だつたが(百二十九丁裏)、夕方順子とその妹が二人で品物を外から五、六分おきぐらいに運んでいる風であり、両人の間であと二、三回で終る等話しているのを聞いた旨供述している(百三十丁裏、百三十二丁裏)。
5、更に被告人は、原審公廷における供述で、氏名不詳の男と狸小路であい(六十一丁裏)、金井の所へ案内すべく豊平橋を渡り、堤防下の道路を通つて金井方を訪れたが、留守だつたので娘(新井順子)の家に行つたのだろうと思い、大門通りに出て右折して電車通りに出、更に右折して神田病院の前附近で金井に会つたと述べている(六十三丁裏)。一方金井はその検察官に対する第三回供述調書及び同人の原審公廷における供述を綜合すると、その日金井は同人の家から新井方に行こうとして堤防下道路を豊平橋に出て電車通りを左折して、ほんの少し歩いたところで被告人に逢つた旨答えている(二十丁表、三十七丁表)。つまり、新井宅を中心に、金井方を基点として金井と被告人が一廻りしたことになるが、そうだとすれば、神田病院前で会うというのはおかしい。又新井の家と金井の家との距離については、証人佐々木高一の原審第六回公判期日における供述によると約百八十間で一往復十五分くらいである(百二十一丁裏)。検証の結果から見ると金井宅から堤防下の道路を通つて新井方に行くのと、大門通りに出て行くのと時間的に大差はないから、被告人と金井の各供述を矛盾なく理解しようとすれば、まず、被告人が金井宅を訪れた時、何処かえ金井は外出し、被告人が金井宅を辞したすぐ後で金井が帰宅し、その足で新井方へ赴いたとしなければならない。しかるに、金井がその時ほんの少しでも外出していたような形跡がない。
6、次に被告人及び金井の各供述で明かなように、氏名不詳者は同国人である点、その男が金井の須田という別名を知つている点(六十一丁)、大阪から云々と被告人が金井に言つた点(二十丁)、及び取引が決して小さな金額ではなく、統制品であつたような点からして、被告人か金井のどちらかが、その男の名前くらいは知つていそうなものだとするのが常識である。原審判決も、若し、被告人が本件犯行を犯したとすれば、金井も共犯者ではないかとの疑いが強くなると言つている通り本件においては両人の利害は極めて密接に結びついており、かつ、新井順子は金井の娘であつて、金井の利害に敏感であることが予想される許りでなく、順子も又本件に関して何らかの役割を果しているようである。
以上の事実を考え合せると、被告人、金井守京及び新井順子の何れの供述も信用しがたく、したがつて被告人の弁解は採用できない。そうして被告人が一体何処で誰から本件賍物を売ることを頼まれたのか、積極的に立証できない以上、金井が本件賍物を入手するについて被告人が何らかの形で加担している事実、明らかに実在しない氏名不詳の者を引き合いに出して弁解している事実、橇の跡が被告人の家近くまでついていた事実及び被告人の家と、新井の家とは約百五十米くらいの距離で、当日順子とその妹が約五分おきぐらいに品物を運んでいた事実等を考え合せると、本件犯行は被告人外数名の所為によるものであるとの結論が出てくる。(東京高裁昭和二四、一〇、一八言渡判決参照)
即ち原判決は、経験則を無視した証拠の取捨により事実の誤認を犯しているものであり、この事実の誤認は判決に影響を及ぼすべきことは明らかである。
第二、訴訟手続に法令の違反
原審第六回公判期日において、検察官は刑訴法第三百十二条により「被告人は、昭和二十四年一月二十三日午後二時頃札幌市南二条西二丁目狸小路々上において、氏名不詳の朝鮮人からゴム深靴約五十七足の売却斡旋方の依頼を受け、そのゴム靴が賍品であるの情を知りながら、その頃札幌市豊平三条一丁目道路及びその附近の新井万根方に於て、朝鮮人金井守京に対し、前記ゴム靴を買つてくれと申込み、これが売却方の周旋を為し、以て賍物の牙保をなしたものである。」との賍物牙保の訴因及び刑法第二百五十六条第二項の罰条の各予備的追加を請求したところ、弁護人は右追加請求に同意したが、裁判所はその決定を留保し(百十五丁、百十六丁)ついで次回第七回公判期日において弁護人は、公訴事実の同一性がないとして前回の意見を取消し、裁判所又検察官の右請求を却下した。原審の該決定は刑事訴訟法第三百十二条第一項に明かに違反する。即ち既に原審認定の誤謬を指摘したように、昭和二十四年一月二十三日北海道水産孵化場において窃取されたゴム深靴と綿絲は、被告人が氏名不詳者から頼まれて金井に世話したと弁解するゴム深靴及び綿絲と同一物であることは疑いのない所であり、当時ゴム靴は統制品であつて、容易に手に入らず闇入手による場合においても、当時の需要状況価格等の関係から路上等において、買受人を物色するが如きは不自然であつて、然も被告人にとつて、その男は全然見も知らない男であること、及び金井の原審公廷における供述で明かなように、金井に対し最初に被告人が大阪からもつてきたのだが買はないかと話しかけているような事実(二十丁)から推すと、被告人は右品物が賍物であることを知つていたものと認めざるを得ないものであり、然ればこそ、検察官は賍物牙保の予備的訴因の追加を請求したのである。しかるに原審裁判所は、公訴事実の同一性がないものとして右請求を却下した。そこで一体公訴事実の同一性とは如何なる意味内容をもつものであるかを考えてみよう。公訴事実の同一とは基本事実の同一を意味することは学説判例の等しく認めるところであるが、その基本事実のいうところの事実とは、構成要件的特徴を示す事実の表象をさし、構成要件概念より一歩手前の前法律的概念であつて、いはば社会の通念又は自然概念よりする社会現象ともいうべきものであり、したがつて公訴事実の同一性は、基本たる社会現象の同一によつて決められてゆく。しかしてどの事実が基本事実か、即ちどの程度の部分的一致があれば公訴事実に同一性があると言いうるのかは訴因の変更許否により受ける被告人の不利益、検察官の利益と、既判力の拡大による被告人の利益、検察官の不利益とを比較較量して決定されねばならない。
(最高裁昭二六、六、五判決)
そこで、賍物罪とその本犯との間に同一性ありとする代表的な判例を拾つてみると次の様なものがある。
詐欺と賍物収受(最判昭和二十四年一月二十五日言渡)
窃盗と賍物運搬(最判昭和二十五年五月十六日言渡、名高判昭和二十五年六月二十六日言渡、広高判昭和二十四年九月十九日言渡、仙高判昭和二十五年七月三十一日言渡)
窃盗と賍物故買(大判明治四十一年二月二十四日言渡、仙高判昭和二十五年七月十三日言渡)
窃盗と賍物収受(大判大正三年十一月十日言渡)
窃盗教唆と賍物故買(名高判昭和二十五年一月三十日言渡)
強盗と賍物運搬(最判昭和二十四年四月二十三日言渡)
したがつてひとり本件の如き賍物牙保についてのみ別異に解すべき根拠がない。論者或いは、賍物運搬、収受、故買には本犯と同様に賍物の所持がともなうが牙保については必ずしも所持がともなはず周旋行為によつて犯罪が成立するのだから本犯と公訴事実は同一ではないと言うかも知れない。牙保の成立は周旋にかかる売買が成立しなくてもよいとする判例の立場からはますますこのような議論が採られるだらう。しかしながら所持という事実をとらえることは、他人の犯罪行為によつて入手された財物を、被害者から見れば、本犯者に代つて所持しているということに意味があるのであるから事実的支配と謂う点においては、周旋行為自体もやはり所持であるといつても決して牽強附会ではない。そこで賍物罪と窃盗罪とは何れも他人の所有にかかる賍物の領得犯罪であるということに着目しつつ、右の点を今少し考えてみよう。
賍物罪の本質は何かということは困難な問題であつて違法な財産状態を維持して所有者の物に関する追求権の実行を困難ならしめるというのが通説的見解であるが、機能的には事後従犯的な色彩が極めて強く、賍物罪は、直接領得罪たる本犯の賍物処分行為に関与し、これを援助又は利用する間接領得罪であるとすることも出来る。かくて犯罪の時間的態様からしてもひとり賍物牙保について許りでなく、賍物罪全般について本犯との関係における公訴事実の同一性についてますます疑問をもたれてくる。しかして、それにもかかわらず本犯と賍物罪に関する前叙のような多くの判例があるのは何故だろう。そもそも何故事後犯なる観念が生れてくるかを考えるに事後犯は、本犯に対し、従属関係にあり、本犯と切離せばその本質を見失うものであり、事後犯の観念を作りあげることにより従来分散していた種々の行為を綜合して遺脱を補い刑を本犯に比例させようとする要求の為に考えられたものに外ならない。即ち賍物罪とその本犯とは本来切り離して考えられないものであつて、更に、本犯を誘発する意味においては寧ろ最近の賍物犯が本犯の共謀共同正犯にすら近い組織の中に発生しているものであり、したがつて賍物罪は、牙保故買等の別なく、等しく本犯との関係においては他人の所持を侵害しているとの点にその同一性を解決する鍵があるのであつて、社会現象の同一とは正にこのような事実を指すべく、通常物理的な所持をともなうか否かという点からその同一性を見きわめようとするが如きは木を見て森を見ざる弊なしとしない。そうして本件のような事案(賍物は同一、犯罪の場所は同じく札幌市内で而も橇跡が消えた附近であり日時は僅か九時間乃至十四時間の距り)において、窃盗と牙保の公訴事実が同一でないとすることは、徒らに訴訟手続を煩雑にさせ、長く事件を不確定な状態において訴訟経済にも反し、引いては被告人にとつても不利益であることにおいては尚更である。したがつて前掲諸判例の態度が是認されるとすれば牙保についても又本犯との間に事実の同一性を認めることが論理的であり、かつ一般の法律感情に応える所以でもあろう。さきに御庁は、昭和二十五年(う)第六八号同年六月六日言渡の判決において、窃盗と賍物牙保は、前者は不法に領得したという事実であり、後者は賍品の売却を斡旋したという事実であつてその基本的事実関係は同一ではないから公訴事実は同一でないとしているが、右判決は窃盗と賍物牙保とは常に公訴事実の同一性がないとか、或いは犯罪の日時場所が隔つている場合には公訴事実の同一性がないと判断したものではなく、基本的事実関係が同一でないから公訴事実の同一性がないと判断したに止るものであろうと思はれる。そうして、右事案において何故基本的事実関係が同一でないとしたかは日時の隔りは約一ケ月、場所の隔りは約五十粁余であつて、もはや基本的事実関係が同一だとすることは妥当でないとした限りにおいて正当であつて、若し、右判決が窃盗と賍物牙保は常にその基本的事実を異にするという趣旨であるならば、今迄述べてきたような理由からして訂正さるべきものと思はれる。結論すれば本件のような場合にこそ、原審裁判所は、検察官の訴因罰条の追加請求を許可すべきであり、本件において原審裁判所の採つた措置は訴訟手続に法令の違反がありその違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。